などと言いながら、実は私は絶対音感の生徒さんを抱えております。 「絶対音感は本当に必要か」という疑問を投げかけつつ、 それでもどうしても子供には絶対音感を付けさせたいという 親御さんには、こちらの疑問をすべてお話した上で、 納得していただいた方のみ、お引き受けしております。 しかし、未だに疑問に感じてなりません。 絶対音感は本当に必要なのでしょうか? |
と疑問を投げかける前に、絶対音感があると何が出来るのか お話しておきたいと想います。 実は私自身、絶対音感保持者であります。 一度聴いた曲はすぐに覚えてしまって、 すぐにピアノで弾けてしまいます。 音楽の構造が耳で理解出来てしまうので、理論を学んだり、 楽譜を見ることが大変苦痛に感じていた時期がありました。 楽譜に正面から向くことが苦痛だったのです。 なぜなら、「耳」で聴いて先に覚えてしまった方が 楽譜を読んでからピアノを弾くよりも断然速いから、 というのが大きな理由でしょうか。。。 これから自分の知らない、新しい曲を弾こうとする時には もちろん楽譜を見ますが、それも3回くらい弾いたらもう覚えてしまいます。 そのかわり・・もしも間違えて譜読みしてしまったら大変です。。 その間違えたまま 覚えてしまいます 師匠に指摘されるまで 間違いに気付かなかったりといった事もありました。 そうなのです、「耳」でそうやって覚えてしまうので、 楽譜を読むのに大変時間がかかっていた時期がありました。 |
これは 絶対音感の欠点だと私自身は考えています。 とにかく聴いた音をすぐに覚えてしまう。 それも、一音一音全部「ドレミ」に聴こえるので、 絶対音感を持った人の演奏は「一粒一粒ハッキリしてる」ように 私は聞こえる事が多いのです。 (これは 私の勝手な感想です。) 一つ一つの音がその固定した「音」そのものなので、 一粒一粒が「独立」してしまうんですね。 だから、ハッキリ聴こえるような気がします。 |
でも、音楽は一つ一つの音をただ無造作に並べただけでは 「音楽」とは言えません。 そこには一つ一つの音がお互いに関連し合って、 その並びの中に一つのアイデアが生まれてくるような、 その音がどうしてそこにあるのか、それはすごく意味の深いもので 前の音があったからこそ この音があって さらに次の音へつなげるのにも意味があって ここまで理解するのに。。。数十年かかりました。。。 私が今生徒さんで絶対音感の生徒さんを受け付けていないのは、 こうした自分の欠点があるからなのです。 絶対音感持ってるって すごいことなのだと想われがちですが、 それは違うと私は考えています。 絶対音感は、音を「左脳」で聴きます。 音楽感性に非常に重要な右脳で音楽を聴く事が出来ないのです。 ですから、時に絶対音感は、音楽を「心から楽しむ」ために 邪魔な存在になってしまう場合があります。 ※絶対音感保持者全員が同じように感じる訳ではありません。 ※あくまでも個人的主観で書かせていただいております。 |
この「右脳で音楽を聴く事が出来ない」と私が最初に気付いた時に、 おそらく、絶対音感保持者とそうではない人とでは、 音楽の聴き方が違うのだろうなと私は想いました。 そして、自分以外の人すべてが、自分と同じように音楽を聴いていないのだと分かった時、 私は「絶対音感として音楽を聴くのではなく、絶対音感ではない耳で音楽を聴きたい」と 強く強く想ったのでした。 そして私自身がそう感じてしまったが為に、 自分は音楽を心で聴く事が出来てないと感じました。 『絶対音感持ってるんだって?すごいね!』『絶対音感があるからいいじゃない!』などと 言われ続けていた幼少期、自分はすごいのだと想っていましたが、 そうじゃないと気付いた時、私はすごく自分を責めました。 私は、すごくない。 絶対音感があるから すごいんじゃないです。 絶対音感があっても すごくないんです。 絶対音感は絶対的に必要なものじゃない。 江口寿子先生が「絶対音感」という本でお書きのように、 「絶対音感は魔法の杖ではないんです」 いくら耳がよく聴こえても いくら聴音がすばらしく出来ても その音楽を「心」で「感じて」、自らの心で「演奏」して、 その曲の裏に深い意味合いが浮かんで来なければ。 演奏するのは、師匠じゃない。私。 演奏するのは、私の指じゃない。私。 演奏するのは、私の耳じゃない。私なんです。 私の心。 音楽を心で感じたい♪ そう、強く強く、願ったのでした。 |